渡印7
インドでは、年端の行かないような頃から
子どもがよく働いています。
大きな自転車をこいで行商する子、
絶妙のバランスで頭の上にザルを乗せて牛糞などを運ぶ子、
大道芸で踊ったり、楽器を奏でる子
アグラを発つ前に入ったレストランのトイレにも
働く少年がいました。
トイレおばさんならぬトイレ小僧。
体のサイズから判断すると、年の頃は10歳前後、
キレイに髪を撫でつけ、白いシャツが爽やかな少年は
果たしてレストランに雇われているのか。
自ら稼ぎに出て来ている風にも見えます。
一人使うごとに、軽く室内にブラシをかけてくれ、
並ぶ順番も見ていて「こっちへ、あっちへ」と交通整理っぷりも見事です。
チップを渡す習慣が無いので、オートマチックにチップを出すことに
いささか抵抗感を持つこともありますが、
この少年には、自主的に奮発してました。
インドにはカルマヨガの考え方があり、
それは少なからず普及していると思います。
7日間、しかも所謂観光コースを優雅に通って来たのみなので
インドの現実のどれほどを見られたかは分かりませんが、
インドを後にする日にカルマヨガの風を吹かせる少年の姿に
出会うことができて、しみじみ良かったと思います。
書きはじめてから5ヶ月という時間が流れていますが
甚だ短いインド日記、これにて幕を下ろします。
渡印6
インド滞在のシメは、修学旅行の名にふさわしく
タージマハールとアグラ城。
外人(欧米人)が多く、小学校の修学旅行で訪れた
京都を思わせる風情です。
「あまりにも見慣れていた写真と同じで、感激しなかった」
インド本ナンバ−1と言っても過言ではない「河童が覗いたインド」の中で
出ていた著者の友人がタージマハールを見ての言葉です。
一歩中へ入り、私も同じ感想を持ちました。
撮った写真の中にも、おなじみの1枚が出来ました。
ですが、世界遺産、そんな底の浅いものじゃありませんでした。
建造に22年かかったといわれるスゴサは、近くで拝むにつれ
伝わります。全部大理石、そこに美しい文様。
それが愛するお妃様のために王様が作ったお墓なわけで、
参りました。
お隣のタージに比べたら質実剛健なアグラ城の
アドベンチャーランド然とした感じが、インドぽくなくて
私は大好きです。
城内の宮殿も、タージを作った王様が建てたものらしく
同じ様なイスラム建築の美しい文様が見られました。
王様、建造狂だったのですね。
狂ってないと、果たせない偉業であるな、と実感します。
渡印5
インド旅行日記、つづきです。
もう日記というより追想ですね。
当初、この旅行は観光旅行と思っておりましたが
もひとつしっくりくる言葉を見つけました。
それは修学旅行。
大人だから、海外でちょっとリッチにキメました。
職業柄か、ヨガをしに行ったのかと訪ねられますがそういうわけでなし、
人生観も変わってたらよかったのかもしれないけど、相変わらず。
苦労はお金で精算しながらの中途半端な渡印っぷりが私らしい修学旅行。
デリーで現地な夜を過ごすことができました。
この少しの時間が、インドでの一番好きな時間でした。
訪れたどの街よりもデリーの埃っぽい雑踏と人の波、車輪の波が好きです。
特にこのご時世、インドへ旅立つ人も少なくないと思いますが、
日本人の好きなインドの街ランキングがあったとしたら
一体どんな顔ぶれになるのでしょう。
そんなデリーの夜が明けると、アグラに向かって再び車を走らせます。
アグラはかの有名な世界遺産タージマハールとアグラ城のある街です。
リシケシュへ向かう時とは違い、高速道路っぽい良く出来た道を行きます。
初日は牛や自転車が車に向こう張って道行く様子や
何人も原付1台にむしゃぶりついているのが面白くて
キャッキャ言って車窓にへばりついていたのが、
数日もすると「窓の日差しが暑い」なんて芸のない文句を
敢えて外国で、しかも暑いことで有名な国でたれちゃってる道すがらでした。
そのようにリッチな日本人ぶりをふりまきながらアグラへ到着。
この日は同行者と縁のある学校と病院へ訪問しました。
寄付によって成り立っているというその学校に寄宿している一家が
先生と共に私たちを迎えてくれました。
その一家にとっては突然の訪問だったようで、
先生に案内されて学校内を見学している間に、
一家のお兄ちゃんと妹は恐らくお母さんからきれいに髪を七三調に撫で付けて
もらったらしく、再び私たちの前に姿を見せた時は見違えていました。
この出来事に、えも言われぬ感動を覚えました。
アグラというと、タージマハールのメレンゲみたいな塔ではなく
あの兄妹の七三分けが今も真っ先に脳裏へ浮かびます。
渡岐
先日、岐阜は中津川へプチリトリート。
小学生の時に行った林間学校以来でした。
名古屋にヨガブーム?がやって来た2年前に
ヨガを通じて出会った友達と、久々にのんびり。
今やその3人ともがヨガを生業としています。
それぞれを取り巻く環境は変わっているのでしょうが、
川べりでヘニャヘニャして、鮎や五平餅食べて、
汗だくで山道歩いて、そんなことしてると
何がそんなに変わったんだろう、と2人の顔を見て思います。
ありがとう。
渡印4
インドへ上陸して5日目、
リシケシュを後にし、再びデリーへ向かいました。
インドでの移動は、トヨタの高級車クオリス(ランクル)です。
私にとっては、おおむね快適なドライブでしたが、
インドの交通事情は、日本とはいささか異なります。
まず、車線はあって無きもの。
向かって右手が対向車線というのは同じですが、
向かって左手に対向車というアメリカンスタイルに様変わりすることも時にあります。
中央線などのお役所が定めるラインも、都市部にはありますが
それを守ろうという意識は、インド人にはあまりないようでした。
それから、クラクション。
トラックのお尻に「Horn Please」と書いてあったりして
鳴らすことが慣わされていて、
行き交うクラクションが最初は少しうるさかったのですが
鳴らされてるうちに耳も心も馴らされてきました。
追い抜き追い越し追い越され、隣や前後との距離は掌1枚分ということもままあります。
それでもその1枚の掌の距離は保たれていて、惨事には至らないのです。
これがインド人の心意気なのか、
ギリギリのところで譲り合いの精神を持っているように感じました。
それは車対車のみならず、車対自転車、対牛や対人のケースでも同じでした。
バーゲンのワゴンで服を取り合いになったら、
漫画じゃないけどビリっといってしまうのが現代の日本人。
ビリっといくのを心で冷静に感知できるのがインド人。
共存するということ。
インドでこのキーワードを感じる場面にはよく出会います。
そんな感じで、再びのデリーでは現地の有力者オススメの
うまか店へ連れてっていただけました。
ヤギの脳みそカレーや、産地は企業秘密の魚のタンドールなど
珍しどころを堪能できました。
人の集まるデリーの夜は、渋谷のような賑やかさ。
空気に厚みがあって、とても好きです。
渡印3
ビートルズを気取るわけじゃありませんが、ヨガ@リシケシュ。
ガンガを挟むように、いくつものアシュラム(道場)がリシケシュには点在します。
そのおよそ中心に、Parmarth Niketanという派手なアシュラムがあります。
<International Yoga Week>という何だか大きなイベントがそこで行われており、
私たちの訪れた日はその最終日で、
インドでは有名だというヨガの先生方のキャンドルセレモニーを拝むことができました。
http://www.parmarth.com/yogafestival.htm
およそアーサナはしないであろう、おじいさんおばあさんや子供がたくさん来ていて、
改めてヨガの懐の深さに感じ入りました。
これは日本ではめったに見られない側面だと思います。
次の日から3日間、早朝のヨガクラスへ参加しました。
Yoga Nikektanという、花の色がとりどりでとても気持ち良い、
私の先生に縁のアシュラムです。
5時からの瞑想のクラスは、いたってシンプルに
個々人で自分の本質にアクセスしていく時間でした。
広い部屋に対して人の数はまばらで、ゆったりした心持ちになれて
気持ちよかったです。
何をするにしても当てはまることではあると思いますが、
どんな空間でヨガをするか、ということの重量感を感じました。
続いて6時半からのアーサナのクラスはHatha Yogaとなっていて、
内容は3日とも違い、バリエーション豊かでとても楽しめました。
生徒さんは年齢も国籍も熟達度も様々で、
ヨガというのは、本来このような底辺の広がりを持っているものだと
思わされ、嬉しくなりました。
後から知ったことですが、アーサナの先生が
All IndoのYoga chanpionshipの金メダリストだったのが
とても得した感じで、ミーハーな私はウフフフフ
もう一カ所、シヴァナンダアシュラムでも一度アーサナのクラスに参加しました。
シヴァナンダアシュラムだからシヴァナンダスタイルでやるかといったら、そうではなく
その先生のスタイルで指導しておられました。
こちらは恐らくアメリカの女性が先生で、最後に行うチャント(讃歌)は
インド人の生徒さんがリードして下さいました。
事前にいくつか、オススメのアシュラムを聞いていましたが
先述のヨガフェスタがあったためか、残念ながら定員いっぱいで
このシヴァナンダアシュラムもそうでした。
ヨガはいつでも誰でもどこででもできるものではありますが、
静かで、澄んだ空気で、ゆとりのある空間であれば理想的だと感じました。
今回何人かの先生のクラスに参加し、自分の好きなスタイルを
再確認することができました。
またどんな人がリシケシュのアシュラムに来ているかを見ることができたのも
よかったです。
インド人や欧米人を見る中、日本人は器用だなあと感じました。
その割に、私を筆頭に英語には器用じゃない人が多く、
外に出て己を知ることは大切だと気づきます。
短い時間でしたが、とてもいい滞在となったリシケシュ。
そして帰ってビートルズをたくさん聞いて、
英語のトレーニングをしようと心に決めたリシケシュでした。
渡印2
さて渡印2日目。
この日はデリーのホテルを出て一路リシケシュへ。
デリーからニューデリー、そして郊外へと景色は変わります。
いつもそのシーンの傍らには牛と車とインド人。
ラクダやサルやゾウにも遭遇しました。
およそ6時間のドライブの中、いくつかの町や村を抜けましたが
目的地のリシケシュには、それらとは違った空気感がありました。
山と川(ガンガ=ガンジス河)が近いというのが一つ。
小高い場所にある色とりどりの花に囲まれたホテルに泊まったというのが一つ。
ガンガのほとりのカフェから対岸をのぞんでいると、
下呂温泉の風景が重なったりします。
町を歩くと、違った空気感を味わいました。
それは自分たち日本人を含む外人が多いということ。
最初に感じた外人気分とは異質の、自分の存在感を感じていました。
さらに歩き、ガンガの対岸へ渡るとまた違った感覚がやってきます。
私にとっては、リアルじゃない世界でした。
セロハンテープを指で触ってベタベタする感じ。
合わせて2日半強をリシケシュで過ごしましたが、
ガンガ沿いのごく限られた中を歩いただけだったので
指のベタベタ感は結局拭えませんでしたが、
それはそれで、興味深かったです。
ビートルズはリシケシュへ行きましたが、
今もビートルズみたいな外人はリシケシュにたくさんいました。
渡印1
2006年3月6〜14日、インドへ小旅行に行って参りました。
インドの伝統を探る経営者と、アーユルヴェーダテクニシャンと、
ヨガインストラクターとその恋人と、5人で過ごしたインドは
私にとってそれは楽しい日々でした。
今回足を運んだのは、リシケシュ、デリー、アグラ、いわゆる北インドです。
ヨガの聖地と言われるリシケシュとはどんな場所なのか。
見て歩くことが第一の目的でした。
初日はシンガポールを経由してデリーへ。
シンガポールは日本なアジアでしたが、インドはインドなアジアです。
空気や土の質感がインドでした。そしてそこに住むのはインド人でした。
インドには、嵌まるか拒絶反応を起こすか、どちらかだ。
しばしばそう言われます。
私の場合はその中間といいますか、ここがインドか、というのが印象です。
人口10億という数字が示す通りの人と車の数で、
軽い圧迫感というか、軽く圧倒されました、
インドに来たなあという心地よい圧倒。
外人気分に心弾ませた最初の瞬間。
今回初めてインドに行くということで、ヨガの生徒さんが
移動中にと本を貸してくださいました。
そのうちの一冊、藤原新也さんという写真家の「印度放浪」を
行きの飛行機で読みました。
およそ30年前に20代半ばのカメラマンの男性が、
初めてインドの地を踏んだ時の写真入り随筆です。
私も写真は撮りましたが、ほとんどはデジカメではなくロモで撮ったため
まだ手元にはありません。
みなさんにご覧頂くのは、別の機会を設けることにして
ここではtrip diaryを綴っていきたいと思います。
トリノオリンピック2
毎夜々々、目を輝かせ完全夜行性で見入ってます。
ひとつのことに全身全霊をかけた選手のパフォーマンスに、
骨の髄まで吸い寄せられています。
私は自他ともに認める器用貧乏です。
自ら貧乏と言ってしまうところが情けないのですが、今のところそうです。
ヨガを始めるようになって、特にヨガに触れる時間が増えたこの頃は
貧乏で終わってしまう理由をつまびらかにするようになりました。
新しく何事かをやる → おもしろくて嵌まる
→ 無茶してものにしようとする → なんとなく形になる → 冷める
それがグラフィックとヨガに関しては、細く長くの予感がします。
どうもオリンピックを見ていると、グラフィックとヨガがつながってくるのです。

